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モナコの象徴として人々に慕われたグレース・ケリー

モナコが世界的に有名になったのは、グレース・ケリーの影響は大きなものがあります。
アメリカを始め、世界中の人々がヨーロッパの小国にすぎなかったモナコを知り、訪れるようになったからです。


モナコ公国のプリンセスとなったグレース・ケリーは、国内の公式行事を始め、数多くの公務をこなしました。(写真はレニエ公とグレースケリー王妃)


レニエ公と


特に舞踏会やパーティ、外国訪問など、華やかな社交場で彼女の魅力は発揮され、レニエ公のパートナーの役目を完璧に果たしました。


そういったグレースの活動がすべてニュースとなり、モナコのイメージが世界中に知られるようになりました。グレース・ケリーは、モナコのエレガンスの象徴となったのです。


グレースは、赤十字の総裁を務めたり、病院や保育園を設立したりするなど、社会活動も積極的に行いました。



また、モナコの文化や芸術の発展のためにグレース公妃基金を設立。ダンス・アカデミー、モナコ・ガーデン・クラブ創設、グレース公妃劇場の再建などに尽力しました。


実はプリンセスになってからも、ヒチコック監督から映画出演のオファーがあったといいます。公妃の立場を考慮し、オファーを受けることはなかったが、大好きなバレエや映画への情熱を、心の奥に抱き続けていたであろうことは、想像に難しくありません。


ダンス・アカデミー創設やあ劇場再建は、みずからの夢を、モナコのすべての人々の夢として昇華させることで、「女優グレース・ケリー」と決別するための、決着のつけ方だったのではないでしょうか。